個々のハイスキルに加え、野球知能の高さも存分にうかかえた両軍による、逆転また逆転の熱戦が2回戦であった。ベンチで応援マーチを歌って手拍子で盛り上げるのも「学童あるある」。だが、この2チームはきっと、試合中に声を枯らすよりも頭を働かせ、野球を深く学ぶことに重きを置いてきたはず。勝者は大会3位まで勝ち進み、敗者は地元に戻って史上初の年4冠(県)に。『名勝負数え唄』第2弾は、それらの必然性にも迫る。
(写真&文=大久保克哉)
2回戦
◇8月18日 ◇府中市民球場
■第3試合
[東京]2年連続5回目
不動パイレーツ
00250=7
10400=5
金田ジュニアクラブ
[福岡]16年ぶり2回目
【不】川本、鎌瀬-鎌瀬、唐木
【金】今井悠、石光奏-石光奏、今井悠
本塁打/鎌瀬、山本(不)
二塁打/福間煌、石光奏(金)、難波、川本、石田(不)、中田(金)
口より行動の「当たり前」
どれだけ野球を理解しているのか。またどれだけ野球を教えられているのか――。知識も経験もゼロから始まる小学生ゆえ、実戦ではそのあたりが如実に見えてくる。
とりわけ、顕著に表れやすいのが守備のバックアップだ。次の展開や仲間のミスを想定して動けているかどうか。そのあたりの浸透具合やベンチの指示から読み取れる「野球知能」の格差が、結果として明暗を分かつこともままある。
一塁側・不動の応援席から始まった試合前の敵軍へのエール(上)に、三塁側・金田の応援席も呼応(下)。清々しい雰囲気でプレーボールを迎えた
高校野球の甲子園の比ではない超難関。ハイレベルな全日本学童大会になると、さすがに大きな差は見られなくなる。その中でも、この2回戦で激突した両軍は、野球知識や戦術や駆け引きという面でも、極めて高い次元にあった。
たとえば、開始直後の三遊間寄りのゴロを流れるようなランニングキャッチ&スローで捌いた、福岡・金田ジュニアクラブの高村昇太郎(=下写真)だ。
5年生のこの三塁手は、投手が一塁へけん制した際には、一塁手からの返球に合わせて必ずバックアップに動いていた。相手の東京・不動パイレーツで三塁を守った、石田理汰郎と川本貫太もまた然り。
ちなみに、こうしたバックアップはプロでも当たり前にやっている。
「万が一の確率もない。としても、やるべきをやるのもプロ」。これは筆者が野球誌で千葉ロッテを担当していた10数年ほど前、当時の正三塁手・今江敏晃氏(前楽天監督)から直接に聞いた言葉だ。
学童野球なら、投げミスの確率は「十が一」(1割)以上あるかもしれない。全国舞台になると、三塁手が一塁けん制でバックアップに動くのは、そう珍しくはなくなる。走者がいるときに、捕手から投手への返球1球1球に、二遊間が呼応するバックアップも普通に見られる。
ただし、二塁けん制から投手への返球に合わせて、捕手が立ち上がって送球コースまで動くとなると、相当にレアとなる。金田のスタメンマスク、5年生の石光奏都(=下写真)は、それも自然にやっていた。「来年度の主役候補」と呼べる5年生の逸材が目立った今大会だが、6年生でもそこまでやれていた捕手が他にいただろうか。
「人のミスをみんなの力でカバーし合えるところに野球の面白さがある」
これはキャリア21年になる金田・嶌田英志監督(=上写真)の哲学であり、対選手の口癖だという。バックアップは「カバー」の際たるもので、仲間の思い切ったプレーを促し、よもやの投げミスもフォローできる。金田の選手たちは実戦を積み重ねながら、そうした意図までを理解していくのだ。
巨漢選手のピカイチ走塁
不動の鎌瀬慎吾監督は試合後、相手の個々の能力と野球レベルの高さに驚いたと語っている。
「正直、今日は叶わないというか、こんなに素晴らしいチームが全国にはいるんだなと、びっくりしました。予想していたピッチャーではなかったけど、誰が投げても球は速いし、よく打つし、バントも盗塁もあるし、大きい選手も体の使い方がいい…」
不動にはこの2回戦で、「野球脳ピカイチ!」と言えるほどのスペシャルな走塁があった。3回表、一死一、三塁から四番・山本大智の特大の中犠飛で1対1に追いついた直後のことだった。
守る金田は、内野に戻ってきたボールを三塁に投げてアピールも、判定はセーフ。このとき、一走の細谷直生はアピールプレーを待っていたかのように塁間へするすると出てきて、相手の三塁送球と同時に二塁へスタート。そして守備陣が気付いたときには二塁ベースに達していた(=上写真)。
155㎝66㎏の細谷はこの後、難波壱の左中間二塁打(=下写真)で本塁に生還している。
一塁を守る細谷は1回裏の守備でも抜け目のないところを見せていた。一死二、三塁のピンチでスクイズを外し、三走をタッチアウトに。喜ぶ仲間たちを尻目に、無人となりかけた本塁ベースをケアし、次の走者を睨みつけていた(=下写真)。
両軍の守備と走塁からは、野球知識がふんだんに総体的にうかがえた。その上で、複数人が連動する戦術を駆使。もちろん、個々の打撃と守備も磨かれていたから、ハイレベルな攻防で白熱するのも必然だったのかもしれない。
劣勢の中での好守
試合のほうは1回表の二死一、二塁のピンチを0点で切り抜けた、金田のペースで進んでいく。
「苦しい守りによく耐えて頑張った! 正面突破だぞ!」
嶌田監督が金田ナインにそう言って始まった1回裏。二番・福間煌汰郎(5年)の内野安打と、続く石光奏の右越え二塁打で一死二、三塁に。そして四番・今井悠希の初球でスクイズ敢行も、ギリギリまで捕手が普通に構えてからのウエストで外され、三走・福間煌が挟殺される(=下写真)。だが、打席の四番打者は、外の難しい球を右前へ落とす先制タイムリーで挽回してみせた。
「バッティングもピッチングも、いつもチームを勝たせることだけを考えてやってきました」
こう語る今井悠(=下写真)は、肩の違和感で投げられない5年生エースの福間煌に代わって先発。100㎞超の力強いボールを軸に内外を突き、2回も一死三塁というピンチを連続三振(3バント失敗1)で切り抜けた。
3回表は先述のように、不動がスペシャルな走塁もあって2対1と逆転する。一番・石田の左前打と敵失で無死一、二塁となり、三番・細谷は強い当たりの三ゴロで三塁フォースアウトとなるも、併殺を狙っての一塁送球の間に、一走・鎌瀬清正主将が三進する好走塁もあった。
金田はその裏、すぐにやり返す。一番・森三千哉(=上写真)が右前打から二盗とボークで三進すると、二番・福間煌が同点タイムリー(=下写真)。
このとき、不動の二遊間は前進守備から投球と同時にさらに前へ距離を詰め、打者にプレッシャーをかけた。それでも左打席の福間煌が難なく打ち返した白球は、投手方向への強いゴロとなり、横へダイブした遊撃手のグラブをかすめて中前へ転がっていった。
捕りきれなかった不動の遊撃手・唐木俊和だが、特筆に値する鋭敏な反応と身のこなしだった。
また、次のプレーも公式記録は遊撃を守る唐木のエラー(悪送球)だが、金田の三番・石光奏の打球は土の上を強く転がるヒット性の当たりだった。しかも、三塁へスタートした走者で唐木は視界を一度遮られ、バウンドを合わせることもできずに捕球。そこからノーステップでの一塁送球も驚きで、やや左に逸れてアウトは奪えなかったが、能力の高さが十分にうかがえた。
遊撃、捕手、投手とマルチにこなした不動の唐木(写真は準々決勝)。将来が楽しみな逸材の一人だった
2対2としてからの金田の畳み掛けもお見事だった。
戦術を凌駕したパワー
まずは無死一、三塁から初球でラン&ヒットだ。一走の福間煌が素晴らしいスタートを切り、打席の四番・今井悠はストライク球を強振。打球はガラ空きの三遊間をあっという間に抜け、勝ち越しタイムリーとなった。さらに五番・高村と六番・松井凰雅の連続スクイズ(=下写真)で、5対2とリードを広げた。
「やっぱり、全国はレベルが高いですね。ウチは現状のチーム力からしても、これしかないというベストな継投で逃げ切りのパターンでした。それをやられましたから、不動さんの打力が上だったということです」
金田・嶌田監督が脱帽したのは逆転した直後の4回表、不動の攻撃だった。この回からマスクを外してマウンドに上がった5年生右腕の石光奏は、自己最速108㎞を投球練習から更新し、110㎞超のスピードボールを投げ込んだ。
しかし、不動打線が力でそれを上回った。先頭の七番・川本(=上写真)の右越え二塁打から好機を広げて、一番・石田が右中間へ2点二塁打(=下写真)。そして左へサク越えの逆転2ランを放った二番・鎌瀬主将が、打席をこう振り返る。
「ホームランを狙っていたんですけど、2球目のファウルで無理だな、と。低いライナー狙いに切り替えて、次の高めの球に合わせて思い切り振ったら、あそこまで飛んでいたという感じです」
雄弁が物語る日常
不動の四番・山本にも左中間ソロ(=上写真)が飛び出して7対5に。スコアはこのまま動かずに決着したが5回裏、登板した鎌瀬主将と金田打線との対決がまた熱かった。
金田は先頭の石光奏が中前打から二盗とバッテリーミスで三進。マウンドの背番号10は二死まで漕ぎつけるも、金田の六番・松井が都合8球もファウル(=下写真)で粘った末に四球で歩く。続く村田祥太主将も四球を選んで二死満塁、長打1本で逆転という場面までつくった。
110㎞に迫る速球を時には横からも投げたり、スローボールを入れたり。それでも最後の1アウトをなかなか奪えなかった鎌瀬主将は、「ホントに苦しかった」と打ち明けている。
「試合時間のことも最初は気にしていたんですけど、途中からはこの回を終わらせることだけに集中しました。投げる球もいろいろ工夫したんですけど、どんどん粘られて。最後は全力をやめて、スピードをちょっと抑え気味のコントロール重視でいったのが良かったと思います(見逃し三振で終了)」
普段から自ら考えたり選択する余地を与えられず、返事しかしていないようなチームであれば、こういう弁も立つ選手はなかなか生まれまい。3位まで勝ち進むことになる不動には「悔しい」「うれしい」「最高」などの一語で尽きず、自然に対話ができる選手が多かった。
次の試合開始時間が迫り、敗軍の取材に多くを費やせなかったが、金田の面々もきっと同じだ。救援して打ち込まれた5年生右腕はこう話している。
「(全国は)福岡とはレベルが違いました。バントとか小技を使ってする野球じゃなくて、普通にどんどん打ってくる野球の相手でした。ホームランを打たれても、チームのみんなが『気にするな』と言ってくれて、一生懸命に投げました。先輩たちの後をつなぐように、自分たちも新チームで全国大会に来たいです」(石光奏)
九州の地元に戻った金田は、10月の福岡大会も制して同県史上初の年4冠を達成し、11月の九州大会出場を決めている。全国経験者の5年生3人を中心とする新チームもまた、同時進行の県大会を勝ち進んでいるという。